描けないことに誠実に向き合う

創作とわたし

はじめに:描けない自分から目をそらしていた

僕は、いつも「描けない、描けない」と思っています。

けれども、「描けない自分」とはどんな自分なのかまでちゃんと考えたことはありませんでした。

なぜそうなってしまうのか。

失敗するのが怖い、人と比べて落ち込む。

SNSを見てしまう。なんだかんだ休憩してしまう。ストイックになれない。

理由を挙げればキリがありません。理由ばかり探す自分に嫌気がさします。

そして、漫画を描くべき時間に、こうしてブログを書いている。

この現象は一体なんなのか。

この記事では、そんな「描けない自分」を掘り下げてみたいと思います。

※結論はおそらく出ないかもしれませんが、記録して残します

「描けない」は、決してダメなことじゃない

そもそも、「描けない」ということは、どういうことか。

ただ、単純に、「描く以外のことをたくさんしている」ということかもしれません。

例えば、他のイラストを描いたり、文章を書いたり、あるいは日常の仕事であったり、

家事や映画でもなんでも当てはまると思うのですが、他のことに時間を費やしているわけです。

ただ、漫画を描かない人生であったとしても、なにもダメということではなく、むしろ、色々とあれこれやるというのはいいことであると思われます。漫画だけが人生ではないなどと、自分を励ましたりします。

けれども、描いていない自分になぜか、後ろめたい気持ちや、ああ描かなきゃダメなんだという心の声がどうしても聞こえてきてしまうのです。

要するに、「集中できていない」とか、「没頭できていない」とかそういうことだろうとは思うのですが、なぜかとかを考え出すと途端に煮詰まってしまい、それで描けないということです。

結局、無理に描こうとしなくてもいいのではと思ったりもします。

誠実に向き合うために最近始めたこと

ともあれ、まず「描けない」という現状をどうしたらいいのかということで、まずはその自分に向き合う必要があります。

なぜ、描けないのか。手が止まってしまうのか。最大の要因は一体なんなのか。

理想は、日常生活を除いて、全ての時間を創作に注ぐということ。

これを「漫画創作時間の最大化」と勝手に称しています。

つまり、コンスタントに仕事をするように自分を稼働させ、精神が安定した状態で、ものづくりができるということです。

これができれば何もいうことなしです。ですが、そう簡単にはいきません。

そこで、僕は色々と試しているのですが、

最近は、特にSNSを見たあとは必ずログアウトしています。

そうすることで、この同時接続時代をなんとかして上手に泳ごうというわけです。

これは、現代社会を乗り切るために最も自分で効果がある施策です。

ただでさえ、注意散漫になっているので。

もう一つは、頭の中に「創作モチベーションのゲージ」を想像すること。

これは、イメージで大丈夫ですが、頭の中で0〜100%の棒グラフを描き、

今の創作モチベーションを思い浮かべます。

10%とかかなり低いときは、読書するようにします。

こうすることで、なにかしら枯渇した脳内にいろいろと蓄積し、そのグラフを少しだけ押し上げることを調整する感覚です。

ただ、それらもなんだかんだ付け焼き刃であって、結局は、回り回って描けないということがしょっちゅうです。

コンスタントに描くことの難しさ

時間を区切って、まるで工場が稼働するがごとくすればいいのではと考えもして、タイマーを使うこともありました。でも、それではどこかのびのびと描けず、僕の場合ですが、あいませんでした。

要するにコンスタントに描くという時間に対する制約を設けているにもかかわらず、それとは相反してのびのびと描いていたいという中で揺れ動いているのです。

  • 限られた時間の中でコツコツとコンスタントに描きたい
  • のびのびと気ままに描いていたい

この2つをなんとかして、いいとこどりできないものだろうか。

時間に縛られたいくないというのはあるけれど、時間で区切らなければ、完成はしない。

社会人のときを振り返ると、勤務時間帯というものがあるため、なんだかんだ仕事をしていた。

けれども、常時ハイパフォーマンスではありません。

それどころか、絵を描いていたいとか、よそ見していました。どうしたら、絵で身を立てていけるのだろうみたいなことを脳裏で常に考えていました。

元を辿れば、常に何かしらを表現していたいという欲求があり、その欲求に動かされているのだろうか。

ともすれば、その欲求を常に発動している状態こそがコンスタントに描くということなのか。

その発動状態を常に漫画に向けている状態が、のぞましいのかもしれない。

わからない。

決定的に何か考え方を変える必要があると思う。

描けないことを記録する意味

それで、こうして描けないということそのものをブログに書きはじめたのかもしれません。

才能がないということを認めているということですが、それでもなんとか続けていきたいという希望があります。

考え方、生き方に問題があるのだと思っています。

最近は利他の精神や他者貢献を常々意識するようにしていますが、

この10年間確かに会社員として、社会に対して何か役になりたいという気持ちはあるものの、

やはりどこか誰かに騙されているんじゃないかとか、人に使われているような感覚が僕にはありました。

でもフリーとしてやっていくとなった今、その縛りがなくなりました。

まずは、常に他者貢献、すなわち、もっと人に喜んでもらうには、という

純度100%で人の役に立つにはという考え方で生きることが先決のように思うのです。

描けないことに苦しんでいるあなたへ

純度100%でもって人のために、人に喜んでもらうために今自分の手持ちのカードでできること。。。

それは、僕みたいにずっと描けないでいたり、

少しずつは描けているのだけど、どこかパワーを十分に出し切れなかったり、

そういった人の背中を押す文章を書かくことなのかもしれない。と思いました。

そうすることで、僕自身もペンが今よりも進むかもしれないと思いました。

僕自身、今もずっと描けない自分に打ちひしがれています。

それでも、描きたいという気持ちが残っている限り、描けるようになるまで、少しずつでも進んでいきたい。

もしこの記事を読んでいるあなたが、同じように描けないことで悩んでいるなら、少しずつ一緒に漫画道を歩めたらと思っています。

おわりに

いかがだったでしょうか。

とても拙い文章ではありますが、皆さまの背中を少しでも押せたら嬉しいです。

創作は大変です。

でもきっと、もっと描けるようになりたい。

たくさん。

描けるようになるとはどういうことかにたどり着きたい。

そんな思いでこの記事を締めくくりたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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